美術鑑賞を嗜む生き方 阿加井秀樹

はじめまして、阿加井秀樹と申します。趣味は美術鑑賞です。いただいた美術品が私にとって声も出ないほどの感動を与えました。その感動を皆さんにも伝えたいそんな気持ちでこのブログを書き記してまいります。

フランシスコ・デ・ゴヤ

みなさんこんにちわ阿加井秀樹です。

フランシスコ・デ・ゴヤという芸術家のなかでは有名ですが、世間的にはマイナーな画家を今回ご紹介したいと思います。

ゴヤは、新古典主義リストにも入っているのですが、どちらかといえばロマン主義です。

ゴヤの若い頃はマドリードタペストリーのカルトンを描いていましたが、その後、彼の写実的なスタイルが人気となり、宮廷画家に抜擢されて多くの肖像画を手がけました。

しかし、46歳の時に高熱のため聴覚を失い、さらに、スペイン独立戦争でその戦禍を目の当たりにしたゴヤの絵画は徐々に暗く変化していったようです。

とくに70歳を過ぎて購入した家の壁に描かれた「黒い絵」と呼ばれる14の壁画は、自分自身のために制作したものであり、極めて内省的な作品となっています。

有名な作品が「黒い絵」であり、奥深い絵画の表現はいろいろ考えさせられる作品です。

絵の意味はローマ神話に登場するサトゥルヌスが将来、自分の子に殺されるという予言に恐れを抱き、5人の子を次々に呑み込んでいったという伝承をモチーフにして描かれているようです。

「黒い絵」については、ゴヤ自身はタイトルや説明を残していないため、何を描いたのかはっきりとしたことはわかりませんがませんが、見るものの不安感を掻き立てる不気味な作品です。

気になった方もいるでしょうが、あまりみないほうがいいかもしれません。

それではまた。阿加井秀樹

サンドロ・ボッティチェッリ

みなさんこんにちわ阿加井秀樹です。

本日はお気に入りの画家サンドロ・ボッティチェッリのことを紹介したいと思います。

15世紀後半の初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派を代表する画家です。みなさんご存知の「ヴィーナスの誕生」は、誰もが見たこともある絵画です。

その絵はギリシア神話の一場面を再現した作品で、女神ヴィーナスが、成熟した大人の女性として海から誕生したシーンを描いた作品です。

明確な輪郭線と、繊細でありながら古典を感じさせる優美で洗練された線描手法を用いて、牧歌的で大らかな人文主義的傾向の強い作品を手がけ、当時、フィレンツェの絶対的な権力者であったメディチ家から高い信用をサンドロは得ていました。

その特徴的な表現は、初期ルネサンスフィレンツェ派の典型として広く認知されています。皮なめし職人の子供として1445年に生を受け、生涯独身をだったそうです。

1470年に制作された商業裁判所のための寓意画『剛殺』が初作品。

この作品が私のお気に入りの作品の一つであります。

それ以降約20年間にわたり時の権力者メディチ家支配下にあったフィレンツェで第一線の画家として活躍。

同年代にはビーナスの誕生など異教的な神話を題材にした傑作を残しますが、晩年はサヴォナローラの宗教的影響を強く受け、硬質的で神経質な表現へと作風が一変しました。

そしてサヴォナローラの失策もあり人気が急落、ついには画業を止めるに至った。

芸術家というのは、世間の風潮から影響を受けて絵画で表現します。

絵画を通して世間を表すのは、いつの時代も不変的なものだと私は思います。

それではまた。阿加井秀樹

ヤン・ファン・エイク

みなさんこんにちわ阿加井秀樹です。

ヤン・ファン・エイクという画家はご存知だろうか?

彼は15世紀最高の画家と呼ばれています。油彩画技術を確立して、写実的な絵画を板絵に描いた最初期の人であり、肖像画を真横からではなく、斜めから描いた最初の画家でもあります。

また、大変教養が高く、数々の宗教的表象を絵画に取り入れたことでも知られています。

しかしながら、ヤン・ファン・エイクの経歴については1422年以前は記録になく、成年も含めて何もわかっていません。

成年も推測です。私がネットで少しお調べしたところヤンは多分1390年ごろ、Maaseik(マースエイク)で生まれたと考えられています。

ラテン語や古典にも精通していることから、十分な教育を受けていたのだと思われます。

謎めいた画家でありますが、写本画家の修業をしていたことは分かっているようです。そうした修業時代を終えると、1425年頃からブルゴーニュのフィリップ善良公に仕え始めます。ファン・エイクは生涯、宮廷画家として生活を送っていたようです。

こうしたエリートコースは当時の画家としては珍しく、ほとんどの画家は画家組合に加入して親方を目指すのが一般的な生き方でした。

それほどまでにフィリップ善良公はファン・エイクを高く評価していたということだと思います。ファン・エイクはエリート中のエリート画家だったんです!

なにか一流を目指している人がいるなら、一度ファンエイクの作品を知ってみてはいかがでしょうか。

それではまた。阿加井秀樹

みなさんは美術館に行くことがありますか?

みなさんこんにちわ阿加井秀樹です。

突然ですが、みなさんは美術館に行くことがありますか?日々の忙しい生活で絵だけをみる時間ってなかなかないと思います。

そんなにひまじゃないよと怒られるかもしれないですが。

私にとって絵画をみることは、すごく深く人生にはかかせない趣味です。

「自分のものの見方」を持てる人こそが、結果を出せたり、幸せを手にしたりしているのではないでしょうか。

じっと動かない一枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるのでしょうか。

昔はみなさんそうじゃない人もいたはずです。

私もそうでした。今思い返せば、小学校の図画工作の時間は大好きな時間でした。

その時間は、自分の思い描いたアートをたくさんつくっていました。しかしながら、高学年になるにつれてだんだん個性がなくなるというか、みんなち違うものつくれば白い目で見られる恐怖に怯えて、気づいたら図画工作は好きではなくなっていった。

パブロピカソの有名な言葉で、「すべての子どもはアーティストである。問題なのは、どうすれば大人になったときにもアーティストのままでいられるかだ」という言葉があります。ピカソのいうとおり、私たちはもともと個性がある。

しかしながら、「アーティストのままでいられる大人」はほとんどいません。

さらに深刻なのは、私たちは「自分だけのものの見方・考え方」を喪失していることに気づいてすらいないということです。

話題の企画展で絵画を鑑賞した気分になり、高評価の店でおいしい料理を味わった気分になり、ネットニュースやSNSの投稿で世界を知った気分になり、LINEで人と会話した気分になり、仕事や日常でも何かを選択・決断した気分になっている。

しかし、そこに「自分なりの視点」は本当にあるでしょうか?いま、こうした危機感を背景として、大人の学びの世界でも「アート的なものの考え方」が見直されています。

みなさんも是非もっと絵画に触れてみてはいかがでしょうか。

それではまた。阿加井秀樹

「アビニヨンの娘たち」

アヴィニョンの娘たち ピカソ

こんにちわ阿加井秀樹です。

ピカソが代表作の一つである「アビニヨンの娘たち」をご存知でしょうか。

アビニヨンというのはスペインの地名であり、ここには5人の娼婦が描かれています。

その絵の描かれた様子が、とても’’リアル’’です。

ちなみに、「アビニヨンの娘たち」が描かれたその時代カメラがこの世に登場したことによって「目に映るとおりに描くをという従来のゴールが崩れ、「アートにしかできないことはなにか」という問いが浮かび上がってきた時代です。

ピカソは、それまで誰も疑わなかったことに疑問をもちはじめたのです。

以前であれば、そんな問いにわざわざ考えるまでもなかったでしょう。

なぜなら、ピカソよりもおよそ500年前のルネサンスの時代に、遠近法という明確な「答え」がありました。リアルを追求したければ、遠近法を使えばよかったのです。

しかしピカソは、「既存の答え」の延長線上では満足できませんでした。彼は、子どものような新鮮な目で世界を見つめ直し、「自分なりの答え」を探そうとしたのです。彼は「『1つの視点から人間の視覚だけを使って見た世界』こそがリアルだ」という遠近法の前提に疑問を持ちました。

実際、遠近法が描こうとする世界は、私たちがものを見るときのそれともかなり違っています。

私たちは1つの位置からある対象物を見ているときでも、これまでそれについて得てきた知識・経験を無意識に前提にしています。

加えて、そもそも視覚だけを使って見るということもあり得ません。そう、私たちは、さまざまな情報をいったん頭に取り込み、脳内で再構成して初めて“見る”ことができるのです。

「半分のリアル」しか描けない遠近法に疑問を持ったピカソは、私たちが3次元の世界をとらえている実際の状態により近い「新しいリアルさ」を模索しました。そうしてたどり着いたのが、「さまざまな視点から認識したものを1つの画面に再構成する」という彼なりの答えでした。

その結果生まれた表現が、「アビニヨンの娘たち」だったのです。

これから絵画に興味をもつ人は、一度「アビニヨンの娘たち」を見て感じて、絵画が単なる状況の描写ではないことを知ってみてください。

それではまた。阿加井秀樹

バンクシー

こんにちわ阿加井秀樹です。

かの有名なバンクシーを知らない人がいるだろうか。

本名や生年月日などを一切明かさないイギリスの覆面アーティスト、バンクシー

イギリスを拠点にして、匿名のストリートアーティストです。

彼の政治および社会批評の作品は、世界各地のストリート、壁、および都市の橋梁に残されている。

バンクシーの作品は、アーティストとミュージシャンのコラボレーションを伴う、ブリストルアンダーグラウンド・シーンから生まれました。

社会風刺的なストリートアートなどを世界各地でゲリラ的に描くことで有名なバンクシーが、最近新作を公開しました。

バンクシーは自身のInstagramに投稿した新作を『Game Changer(ゲームチェンジャー)』と紹介。ゲームチェンジャーとは物事の状況や流れを一変させる人や物、アイディアなどを意味します。

その絵には楽しそうに遊んでいる幼い男の子が描かれています。男が手に持っているのは、マスクとマントをつけた看護師のフィギュア。

この絵は、新型コロナウイルスをきっかけに描かれたそうです。

バンクシーはこの病院で働く医療スタッフへ、「みなさんがしてくれているすべてのことに感謝します。

作品はモノクロですが、この場を少しでも明るくできたらと願っています」とメッセージを残したそうです。

新型コロナウイルス感染症にかかった人たちを救うため、世界中の医療従事者たちは自らの危険をかえりみず働いています。

世界ではそんな医師や看護師たちを『ヒーロー』と称賛する声が高まっています。

バンクシーのこの作品には、コロナウイルスと闘う医療従事者たちへ感謝と尊敬の思いが込められているのですね。

気になった方は是非、お調べしてください。

それではまた。阿加井秀樹

「真鶴沖」

「前田青邨 真鶴沖」の画像検索結果

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

今回ご紹介する作品は前田青邨の真鶴沖です。

 

前田青邨は、日本の伝統的な大和絵を学び、ヨーロッパ留学で西洋絵画、とくに中世イタリア絵画の影響を受け、武者絵などの歴史画から花や鳥といった自然物まで幅広い題材の作品を制作しました。画壇から日本画界の発展を支え文化勲章を受賞したほか、法隆寺金堂の壁画の修復や高松塚古墳の壁画の模写など、歴史的・文化的事業にも多く携わった芸術家です。

 

真鶴沖は、真っ青な海の色が印象的な、源平の合戦をモチーフに描かれた作品となり、石橋山の戦いで敗れた源氏の兵士らが、海から小船で敗走するシーンを描いています。従来の日本画とは一線を画する色使いを、平家物語という古典に用いる前田青邨のセンスは、海外留学などで磨かれたものかもしれませんね。精緻に描かれた甲冑などのディテールも必見です。ご存知の通り、平氏と源氏の長きにわたる戦いは源氏の勝利と繁栄をもって終わりを告げます。その終幕を予感させるようなビビッドな色使いの日本画です。

 

それではまた。

阿加井秀樹