美術鑑賞を嗜む生き方 阿加井秀樹

はじめまして、阿加井秀樹と申します。趣味は美術鑑賞です。いただいた美術品が私にとって声も出ないほどの感動を与えました。その感動を皆さんにも伝えたいそんな気持ちでこのブログを書き記してまいります。

音楽と共に生きる芸術作家 奈良美智

 

阿加井秀樹です。
みなさんこんにちは。

 

今回は奈良美智を紹介します。

 

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音楽が好きで、作品制作も音楽を流しながら行います。少年ナイフbloodthirsty butchers、THE STAR CLUB、マシュー・スウィートR.E.M.のCDジャケットを手がけており、ニルヴァーナカート・コバーンを模したと思われるキャラクターやthee michelle gun elephantのCDジャケットをパロディー化した作品を描いたりしています。


60~70年代の洋楽にも詳しく、マイナーレーベルのSSWやロック、またルーツミュージックにも造詣が深いです。


手作りの小屋の内側を中学、高校時代に聴いていたレコードジャケットで埋めた作品もあり、ミュージシャンとの交流も多くニューヨークでの展覧会オープニングにYO LA TENGOやデボラ・ハリーなどが来ています。

 

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一人で作品制作を行ってきた奈良でありますが、 「Yoshitomo Nara + graf A to Z」では
クリエイター集団grafと共同作業で展示会場作りからの創作活動の旅を行いました。


台湾、韓国、横浜へと移動したその展覧会の様子は、ドキュメンタリー映画『NARA:奈良美智との旅の記録』として2007年に劇場公開され、後にDVDとして発売されました。

 

カレーライスが好物で、2001年に漫画『おごってジャンケン隊』にゲスト出演した際、当時のアトリエの近所にあるCoCo壱番屋をお薦めの店として挙げています。
また、最近では松屋にもよく通っているとTwitterで述べています。

 

それでは、また。


阿加井秀樹

 

ポップアーティスト 村上隆

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

 

今回は村上隆を紹介します。

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1962年生まれ。東京都板橋区出身。

自らの作品制作を行うかたわら、芸術イベント『GEISAI』プロジェクトのチェアマンを務め、アーティスト集団『カイカイ・キキ(Kaikai Kiki)』を主宰し、若手アーティストのプロデュースを行うなど、活発な活動を展開しています。


同集団は、アメリカのニューヨークにも版権を管理するエージェントオフィスを持っています。

 

日本アニメポップ的な作風の裏には、日本画の浮世絵や琳派の構成に影響されている部分も強く、日本画のフラット感、オタクの文脈とのリンクなど現代文化のキーワードが含まれています。

 

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中でもアニメ、フィギュアなどいわゆるサブカルチャーであるオタク系の題材を用いた作品が有名。
アニメ風の美少女キャラクターをモチーフとした作品は中原浩大の「ナディア」に影響を受けたと本人も認めています。


アニメーター・金田伊功の影響を強く受けており、自分の作品は金田の功績を作例として表現しているだけと話したこともあります。

 

それでは、また。

阿加井秀樹

 

 

前衛の女王 草間彌生

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

 

今回は草間彌生を紹介します。

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幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めました。


1957年に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなく、ハプニングと称される過激なパフォーマンスを実行し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとりました。

 

作品は、水玉模様などの同一のモチーフの反復によって絵画の画面や彫刻の表面を覆うことが特徴の一つです。


合わせ鏡を用いて光やオブジェを無限に広がるように見せるインスタレーションや、男根状のオブジェを日用品などに張り付ける立体作品も制作しています。

カボチャをモチーフにした作品もしばしば見られます。

 

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また、ファッションデザインや小説執筆などの活動も行っています。

 

それでは、また。

阿加井秀樹

 

珍奇な肖像画を描く画家、ジュゼッペ・アルチンボルド

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

 

寄せ絵とは、様々なものを集めてひとつの形にした絵で、

日本では浮世絵師の歌川国芳とその弟子たちが作成したものが有名です。

 

その寄せ絵の技法で、

草花や野菜、動物、道具など様々なものを使って独特の肖像画を描いたのが、

イタリア・ミラノ出身の画家のジュゼッペ・アルチンボルドです。

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アルチンボルドは画家の子として生まれ、

最初はステンドグラスのデザインやタペストリーの制作をしていましたが、

1562年にウィーンに出て神聖ローマ帝国ローマ皇帝であるフェルディナント1世の宮廷画家となり、

祝典など宮廷のイベントの企画に才能を発揮するとともに、宮廷の装飾や衣装のデザインなどを行っています。

 

アルチンボルドは寄せ絵の技法を使った肖像画だけではなく、

伝統的な宗教画も描いていますが、

肖像画インパクトが強いせいか、そちらの方が有名なっています。

 

しかし野菜や果物など、様々なもので作られた珍奇な肖像画が単なる気まぐれで描かれたものなのか、風変わりなものに魅了されたためなのか、珍奇な肖像画がどうして生まれたのかは、未だ評論家の議論するところです。

 

アルチンボルドはフェルディナント1世の後に仕え、

その孫のルドルフ2世にも仕えましたが、

ルドルフ2世この珍奇な肖像画を気に入り、

アルチンボルドに高い地位を与えたといいます。

 

 


では、また。 阿加井秀樹

フランス・ロマン主義の代表・ウジェーヌ・ドラクロワの日記

阿加井秀樹です。みなさんこんにちは。

 

迫力のある場面構成と優れた色彩表現によって、後世の画家、ゴッホルノワールにも影響を与えた画家がドラクロワです。

 

当時古典主義が主流であった中、ドラクロワロマン主義へと転向し、

「ダンテの小舟」「キオス島の虐殺」といった作品を生み出し、

そして代表作である「民衆を導く自由の女神」を生み出しています。

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[ダンテの小舟]

 

ドラクロワの作品は、その迫力とテーマ故に、ときに賛否両論を巻き起し、論争になってしまう場合があります。

 

 

例えば「キオス島の虐殺」は、同時実際にあった事件をテーマにして描かれた作品ですが、絵画によって虐殺を描いたといった酷評を受けています。

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しかし「キオス島の虐殺」は、結局のところ評価されて政府買い上げとなり、

その後、代表作である「民衆を導く自由の女神」が制作されているのです。

 

民衆を導く自由の女神」の中心にいる女性は実際にいた女性ではなく、

フランス共和国を擬人化した自由の女神です。

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自由の女神像ニューヨークのシンボルともいえる像ですから、知らない人はいないことでしょう。

 

ドラクロワはまた、大量の日記が残っていることでも有名です。

 

日記は1822年に始まり、一時中断するものの、生涯を閉じる間際まで書き綴られています。

 

日記の中身は自身の日常的な事柄だけでなく、

絵画や詩、音楽について考察が行われており、

当時のパリの様子やドラクロワの足跡を追うことができる貴重な資料になっています。

 

ドラクロワは自由と洒脱さで今もフランス人が憧れる画家のひとりであり、

最期に移り住んだアトリエは国立美術館となっています。

 

 

では、また。 阿加井秀樹

写実を排したルネサンスを代表する画家・サンドロ・ボッティチェリ

阿加井秀樹です。みなさんこんにちは。

 

ルネサンスというと様々な芸術家たちを生んだ時代ですが、

サンドロ・ボッティチェリはそのルネサンス期を代表するフィレンツェ生まれの画家です。

 

しかし、当時のボッティチェリは現在のような高い評価を得ていた画家ではなかったといいます。

 

一応、独立して仕事をし、公的注文を受けて名声を得ていたものの、

ボッティチェリが高い評価を得たのは、19世紀に入ってからです。

 

これは当時のヨーロッパが、ルネサンスという新しい文化が生まれつつも、

ボッティチェリの絵画を受け入れるほどの多様性がなかったためといわれています。

 

またボッティチェリの作品は、異教的といった評価を受けて、焼却されたものも多いといいます。

 

ボッティチェリ代表作のひとつである「ヴィーナスの誕生」は、

ギリシャ神話の影響が強い作品で、ヴィーナスが海の泡から誕生したところが描かれています。

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キリスト教を扱ったものでないにも関わらず、172cm×278cmという珍しく大きなサイズで描かれています。

 

また写実をあえて排した「ヴィーナスの誕生」は、そのことによりより一層美が強調された作品になっています。

 

ボッティチェリの作品では「プリマヴェーラ(春)」も有名ですが、

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こちらも当時の技法を模倣するのではなく、

ボッティチェリが生み出した独自の様式で描かれており、

その意味でボッティチェリフィレンツェ唯一の手法を持った画家といってよいでしょう。

 

 

では、また。 

阿加井秀樹

聖母子の画家ラファエロ・サンティの生い立ち

阿加井秀樹です。みなさんこんにちは。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロと並び、

ルネサンス三大巨匠と称されるラファエロは、

ルネサンスにおける様式や技法を完成させ、

西洋美術の模範として高く評価されています。

 

ラファエロは「聖母子の画家」とも呼ばれており、

代表作「大公の聖母」「小椅子の聖母」など、聖母子を繊細に描いた作品が多く存在しています。

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※ 「大公の聖母」

 

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※「小椅子の聖母」

 

母と子の作品が多い理由に、早くに母親を亡くしたからではないかとも言われているラファエロは、一体どのような生い立ちであったのでしょうか。

 

 

ラファエロは1483年イタリア中部のウルビーノで生を受け、

宮廷画家であった父のジョヴァンニ・サンツィオの影響により画家を目指したといいます。

 

幼い頃から宮廷に出入りし、芸術文化をその肌で感じて、

画家としての才能が育まれていったのでしょう。

 

しかし、ラファエロの母は1491年、ラファエロが8歳の時期に亡くなり、

三年後には父ジョヴァンニ・サンツィオも亡くなっています。

 

幼い少年時代に孤独になった悲しみは計り知れなかったことでしょう。

 

11歳で孤児となったラファエロがどのように暮らしていたのかは不明で、

父親の死後6年間の記録が残っていませんが、

1500年までにペルージャにあるピエトロ・ヴァヌッチの工房に入っていた説が有力です。

 

その後ラファエロは1504年にフィレンツェへ旅立ち、数多くの代表作を生み出していくこととなります。

 

 

では、また。 

阿加井秀樹