美術鑑賞を嗜む生き方 阿加井秀樹

はじめまして、阿加井秀樹と申します。趣味は美術鑑賞です。いただいた美術品が私にとって声も出ないほどの感動を与えました。その感動を皆さんにも伝えたいそんな気持ちでこのブログを書き記してまいります。

「エッフェル塔」

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

今回ご紹介する作品はロベール・ドローネーの「エッフェル塔」という作品です。

 

ロベール・ドローネーは、フランスの抽象画を代表すると言ってもいい存在の画家です。

 

ピカソが提示した、キュビスムの手法で描かれた抽象画を数多く発表しました。

 

ピカソや初期のキュビスムの画家たちと比べてみても、ドローネーの描くキュビスムの作品は、色鮮やかで独創的でした。初期のキュビスムの作品は、人物画や静物画で描かれることが多く、色彩もそれほど鮮やかではありませんでした。

 

ですが、ドローネーは町並みや建物などの風景画を数多く描き、美しい色彩が印象的な作品を数多く発表しています。

 

この作品は特に鮮やかな色彩が幻想的な雰囲気を醸し出しています。晩年には、キュビスムを超えたオリジナリティあふれる作品を多数発表し、独特の色彩が持つ魅力は、新しい芸術運動の先駆けであると讃えられました。

 

どちらかというと無機質な印象を受けることが多い抽象画ですが、ドローネーの描く絵画には独特の美しさと温かみがあるものでした。

 

激しい印象の絵画が多い中で、ドローネーの描く幻想的で柔らかな印象の抽象画は、ひときわ異彩を放っています。

 

それではまた。阿加井秀樹

 

「食前の祈り」

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

今回ご紹介する作品はジャン・シメオン・ジャルダン「食前の祈り」です。

 

「食前の祈り」は手前にいるやっと祈りの言葉を覚えた弟が食事の前に祈りを捧げようとしているところを母親と姉が暖かく見守っている日常が描かれている絵画です。

 

背景の色も暖色を用いており、見ているだけで哀愁は感じつつもこの親子の幸せな一面が見て取れます。

 

この絵画からは、当時のフランスの厳格な日常を垣間見る事ができます。

 

背景が暗いのに対して人物は明るく描かれている事から、母親と姉の暖かさ、弟が一生懸命祈りを捧げようとしている姿がより強調されていると私は思います。

 

この絵画の作者であるジャン・シメオン・ジャルダンは、1699年の18世紀、フランスパリ出身のロココ時代フランス絵画の巨匠です。

 

1718年から画業を始め、1733年頃から風俗画を描き始めます。その多くがこの「食前の祈り」のような日常を描いたものでとても高く評価されています。

 

この絵画が描かれたのは1740年だそうです。

 

ちなみにこの年はフランスでは凶作だったといわれています。

 

今では食事ができることが当たり前になっていますが、食事をするだけでも恵まれた環境にいることを再認識することができる作品のひとつだと思います。

 

それではまた。阿加井秀樹

「夏の木陰」

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。今回ご紹介する作品はジャン=アントワーヌ・ヴァトーの「夏の木陰」です。

 

アントワーヌ・ヴァトーの「夏の木陰」はロココ美術の美しさがとてもよく伝わってくるとても素敵な絵画です。

 

木陰の中央には太陽の光を浴びている男女が描かれ、周りにも木陰で隠れていますが、二人の男性と一人の女性等様々なものが描かれています。

 

木陰になっている部分をじっくり見る事でどういう絵なのかを理解する事ができる、とても奥深い素敵な一枚です。

 

この素晴らしい絵画は、現在愛知県にあるヤマザキマザック美術館に所蔵されています。

 

世界的に有名で偉大な芸術家の美術品が日本にあると知った時、私はとても驚きました。まだインターネットの美術館系のサイトでしかこの絵画を見た事がありませんが、せっかく日本にあるのですから、いつか必ず見てみたいと思います。

 

ヴァトーは、生まれながら身体があまり強くなかったそうです。残念ながら結核で37歳の若さで亡くなってしまいますが、病に倒れた後、それでも最後まで絵を描こうとしている様子が手記に残されています。

 

それほどまでに芸術を愛した彼の作品をもっと見てみたかったと思わせる一枚です。

 

それではまた。阿加井秀樹

フランシスコ・デ・ゴヤ

みなさんこんにちわ阿加井秀樹です。

フランシスコ・デ・ゴヤという芸術家のなかでは有名ですが、世間的にはマイナーな画家を今回ご紹介したいと思います。

ゴヤは、新古典主義リストにも入っているのですが、どちらかといえばロマン主義です。

ゴヤの若い頃はマドリードタペストリーのカルトンを描いていましたが、その後、彼の写実的なスタイルが人気となり、宮廷画家に抜擢されて多くの肖像画を手がけました。

しかし、46歳の時に高熱のため聴覚を失い、さらに、スペイン独立戦争でその戦禍を目の当たりにしたゴヤの絵画は徐々に暗く変化していったようです。

とくに70歳を過ぎて購入した家の壁に描かれた「黒い絵」と呼ばれる14の壁画は、自分自身のために制作したものであり、極めて内省的な作品となっています。

有名な作品が「黒い絵」であり、奥深い絵画の表現はいろいろ考えさせられる作品です。

絵の意味はローマ神話に登場するサトゥルヌスが将来、自分の子に殺されるという予言に恐れを抱き、5人の子を次々に呑み込んでいったという伝承をモチーフにして描かれているようです。

「黒い絵」については、ゴヤ自身はタイトルや説明を残していないため、何を描いたのかはっきりとしたことはわかりませんがませんが、見るものの不安感を掻き立てる不気味な作品です。

気になった方もいるでしょうが、あまりみないほうがいいかもしれません。

それではまた。阿加井秀樹

サンドロ・ボッティチェッリ

みなさんこんにちわ阿加井秀樹です。

本日はお気に入りの画家サンドロ・ボッティチェッリのことを紹介したいと思います。

15世紀後半の初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派を代表する画家です。みなさんご存知の「ヴィーナスの誕生」は、誰もが見たこともある絵画です。

その絵はギリシア神話の一場面を再現した作品で、女神ヴィーナスが、成熟した大人の女性として海から誕生したシーンを描いた作品です。

明確な輪郭線と、繊細でありながら古典を感じさせる優美で洗練された線描手法を用いて、牧歌的で大らかな人文主義的傾向の強い作品を手がけ、当時、フィレンツェの絶対的な権力者であったメディチ家から高い信用をサンドロは得ていました。

その特徴的な表現は、初期ルネサンスフィレンツェ派の典型として広く認知されています。皮なめし職人の子供として1445年に生を受け、生涯独身をだったそうです。

1470年に制作された商業裁判所のための寓意画『剛殺』が初作品。

この作品が私のお気に入りの作品の一つであります。

それ以降約20年間にわたり時の権力者メディチ家支配下にあったフィレンツェで第一線の画家として活躍。

同年代にはビーナスの誕生など異教的な神話を題材にした傑作を残しますが、晩年はサヴォナローラの宗教的影響を強く受け、硬質的で神経質な表現へと作風が一変しました。

そしてサヴォナローラの失策もあり人気が急落、ついには画業を止めるに至った。

芸術家というのは、世間の風潮から影響を受けて絵画で表現します。

絵画を通して世間を表すのは、いつの時代も不変的なものだと私は思います。

それではまた。阿加井秀樹

ヤン・ファン・エイク

みなさんこんにちわ阿加井秀樹です。

ヤン・ファン・エイクという画家はご存知だろうか?

彼は15世紀最高の画家と呼ばれています。油彩画技術を確立して、写実的な絵画を板絵に描いた最初期の人であり、肖像画を真横からではなく、斜めから描いた最初の画家でもあります。

また、大変教養が高く、数々の宗教的表象を絵画に取り入れたことでも知られています。

しかしながら、ヤン・ファン・エイクの経歴については1422年以前は記録になく、成年も含めて何もわかっていません。

成年も推測です。私がネットで少しお調べしたところヤンは多分1390年ごろ、Maaseik(マースエイク)で生まれたと考えられています。

ラテン語や古典にも精通していることから、十分な教育を受けていたのだと思われます。

謎めいた画家でありますが、写本画家の修業をしていたことは分かっているようです。そうした修業時代を終えると、1425年頃からブルゴーニュのフィリップ善良公に仕え始めます。ファン・エイクは生涯、宮廷画家として生活を送っていたようです。

こうしたエリートコースは当時の画家としては珍しく、ほとんどの画家は画家組合に加入して親方を目指すのが一般的な生き方でした。

それほどまでにフィリップ善良公はファン・エイクを高く評価していたということだと思います。ファン・エイクはエリート中のエリート画家だったんです!

なにか一流を目指している人がいるなら、一度ファンエイクの作品を知ってみてはいかがでしょうか。

それではまた。阿加井秀樹

みなさんは美術館に行くことがありますか?

みなさんこんにちわ阿加井秀樹です。

突然ですが、みなさんは美術館に行くことがありますか?日々の忙しい生活で絵だけをみる時間ってなかなかないと思います。

そんなにひまじゃないよと怒られるかもしれないですが。

私にとって絵画をみることは、すごく深く人生にはかかせない趣味です。

「自分のものの見方」を持てる人こそが、結果を出せたり、幸せを手にしたりしているのではないでしょうか。

じっと動かない一枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるのでしょうか。

昔はみなさんそうじゃない人もいたはずです。

私もそうでした。今思い返せば、小学校の図画工作の時間は大好きな時間でした。

その時間は、自分の思い描いたアートをたくさんつくっていました。しかしながら、高学年になるにつれてだんだん個性がなくなるというか、みんなち違うものつくれば白い目で見られる恐怖に怯えて、気づいたら図画工作は好きではなくなっていった。

パブロピカソの有名な言葉で、「すべての子どもはアーティストである。問題なのは、どうすれば大人になったときにもアーティストのままでいられるかだ」という言葉があります。ピカソのいうとおり、私たちはもともと個性がある。

しかしながら、「アーティストのままでいられる大人」はほとんどいません。

さらに深刻なのは、私たちは「自分だけのものの見方・考え方」を喪失していることに気づいてすらいないということです。

話題の企画展で絵画を鑑賞した気分になり、高評価の店でおいしい料理を味わった気分になり、ネットニュースやSNSの投稿で世界を知った気分になり、LINEで人と会話した気分になり、仕事や日常でも何かを選択・決断した気分になっている。

しかし、そこに「自分なりの視点」は本当にあるでしょうか?いま、こうした危機感を背景として、大人の学びの世界でも「アート的なものの考え方」が見直されています。

みなさんも是非もっと絵画に触れてみてはいかがでしょうか。

それではまた。阿加井秀樹