もの派の美術家 菅木志雄
阿加井秀樹です。
みなさんこんにちは。
今回は菅木志雄を紹介します。
岩手県盛岡市で生まれ、1964年から1968年まで、東京の多摩美術大学絵画学科で学びました。
多摩美在籍中にジャン・ボードリヤール、ジル・ドゥルーズ、西田幾多郎、ナーガールジュナ、ヴァスバンドゥの著作を読みふけっていました。
この時期に大学で教鞭をとっていた二人の作家から、大きな影響を与えられています。
その一人である斎藤義重は、菅をはじめとする学生に、モダニズムと欧米を中心とする芸術理論に対し脱構築的アプローチをとることを促しました。菅に影響を与えたもうひとりの教師は芸術家・高松次郎です。
高松はだまし絵のような絵と彫刻をもって、当時の東京アートシーンの中核をなしており、菅の初期作品は高松のアプローチを反映しているといえます。
1960年代後半から70年代にかけて台頭した「もの派」 グループの中心メンバーであります。
もの派の作家は、石、鉄板、ガラス、電球、綿、スポンジ、紙、木、鉄線、ワイヤー、ロープ、革、油、水といった、「もの」自身を主題にするとともに、諸要素と空間の相互依存に焦点をあてました。
自然的な物質と工業的な物質の出会いを探求し、それらを一過性の静止状態に配置することによって作品としています。
それでは、また。
阿加井秀樹