アメデオ・モディリアーニ作品「ポール・アレクサンドル博士」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回はアメデオ・モディリアーニの「ポール・アレクサンドル博士」について書いていきます。
イタリアのリヴォルノに生まれたモディリアーニは、1906年1月に絵を描くためにパリに出ました。その翌年の11月に、本作のモデルとなっている人物である、医師で美術愛好家のポール・アレクサンドル博士と知り合っております。
ポール・アレクサンドル博士はモディリアーニの作品に関心をもった最初の人で、激励するために作品を買い続けた人としても知られております。ポール・アレクサンドル博士は、無名の芸術家を公衆、画商、収集家に紹介するチャンスのある公的機関にもよく通じている人物でした。
そのため、さまざまな面でモディリアーニを支援し、その芸術活動を支えていったとされております。この絵が描かれた頃に、モディリアーニは彫刻家コンスタンティン・ブランクーシと友情を結び、実は、以後の数年間は彫刻に没頭することになります。
しかし絵画を放棄したわけではなく、1914年以降の細長く平面的にデフォルメされた、いわゆる「モディリアーニ様式」に繋がってゆくこととなるのです。
本作は若いモディリアーニの瑞々しい感覚が漂う初期の秀作といっても過言ではないでしょう。
それではまた。
阿加井秀樹