聖母子の画家ラファエロ・サンティの生い立ち
阿加井秀樹です。みなさんこんにちは。
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと並び、
ルネサンスにおける様式や技法を完成させ、
西洋美術の模範として高く評価されています。
ラファエロは「聖母子の画家」とも呼ばれており、
代表作「大公の聖母」「小椅子の聖母」など、聖母子を繊細に描いた作品が多く存在しています。
※ 「大公の聖母」
※「小椅子の聖母」
母と子の作品が多い理由に、早くに母親を亡くしたからではないかとも言われているラファエロは、一体どのような生い立ちであったのでしょうか。
宮廷画家であった父のジョヴァンニ・サンツィオの影響により画家を目指したといいます。
幼い頃から宮廷に出入りし、芸術文化をその肌で感じて、
画家としての才能が育まれていったのでしょう。
しかし、ラファエロの母は1491年、ラファエロが8歳の時期に亡くなり、
三年後には父ジョヴァンニ・サンツィオも亡くなっています。
幼い少年時代に孤独になった悲しみは計り知れなかったことでしょう。
11歳で孤児となったラファエロがどのように暮らしていたのかは不明で、
父親の死後6年間の記録が残っていませんが、
1500年までにペルージャにあるピエトロ・ヴァヌッチの工房に入っていた説が有力です。
その後ラファエロは1504年にフィレンツェへ旅立ち、数多くの代表作を生み出していくこととなります。
では、また。
阿加井秀樹