美術鑑賞を嗜む生き方 阿加井秀樹

はじめまして、阿加井秀樹と申します。趣味は美術鑑賞です。いただいた美術品が私にとって声も出ないほどの感動を与えました。その感動を皆さんにも伝えたいそんな気持ちでこのブログを書き記してまいります。

魅惑の空間を描くヨハネス・フェルメールの特徴とは?

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

 

過去、日本でも展示会が開催されて大盛況となったヨハネス・フェルメールは、オランダ出身のバロック期を代表する画家です。

 

ヨハネス・フェルメールの特徴はなんといっても緻密な空間構成と、光を巧みに使った質感の表現力でしょう。

 

代表作「牛乳を注ぐ女」は、日常の中のふとしたシーンを切り取ったもので、静かな空間の中に浮かび上がる人物の美しさは、見る人をはっとさせる美しさです。

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「牛乳を注ぐ女」

 

また代表作「真珠の耳飾りの少女」は、青の使い方が印象的な作品です。

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ヨハネス・フェルメールといえば青といわれていますが、これはラピスラズリを原料とするウルトラマリンを使用しているためです。

 

ラピスラズリは当時、純金と同じくらい高価なものでなかなか使うことができないものでしたが、フェルメールは裕福だった義母とパトロンたちのおかげで使うことができたそうです。

 

フェルメールは寡作の画家としても有名ですが、これはパトロンに恵まれて、生活のために次々と絵を描く必要がなかったためだといいます。

 

1点の作品にじっくりと時間をかけられたからこそ、フェルメールの特徴である緻密な空間構成が際立った作品が生まれたともいえるでしょう。

 

しかし晩年は、イギリスとオランダの間で戦争が勃発したことによって経済が低迷し、絵画が売れなくなり、膨大な負債を残して没しています。

 

では、また。 

阿加井秀樹

独創的でミラクルな画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャー

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

 

平面の中の構造物が建築不可な無限回廊になっている作品や、幾何学的な騙し絵など、エッシャーは日本で最も知られている画家のひとりです。

 

エッシャーの作品は誰でも一度は作品を見たことがあるのではないでしょうか。

 

エッシャー幾何学的な作品を作ることから、数学が得意なのだろうと考える人も多いでしょう。

 

しかし実際にはエッシャーは数学が全く得意ではなく、成績不良で中等学校の2年生を2回やったといいます。

 

そんなエッシャーが数学的な要素を持った絵を描くようになったのは、アルハンブラ宮殿を訪問して幾何学模様を見て感銘を受け、兄のB.G.エッシャーの勧めで結晶学時報を読んだことが大きなターニングポイントになったといわれています。

 

アルハンブラ宮殿訪問後、エッシャーの作風は一変して繰り返し模様を描くようになり、さらには数学的な要素を帯びた「凸面と凹面」や「物見の塔」「円の極限IV」といった作品を、次々に生み出しています。

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「凸面と凹面」

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「物見の塔」

エッシャーの作品は前期と後期に分類され、その作風は大きく異なります。

 

前期が風景画中心であったのに対して、後期は数学、結晶学的な作品が中心であり、無限の追求が作品の中に現れています。

 

作品があまりに不可思議なことから、麻薬を吸いながら作品を見る若者が現れたり、作中の植物が大麻と疑われることもありましたが、これらは全くの事実無根です。

 

平面の中に不思議な空間を作り出したエッシャーは、日本では3Dアトラクションなど、テーマパークの施設などにも使われ、その名はまるでエッシャー自身が無限の存在というように、常どこかで使われています。

 

 

では、また。 阿加井秀樹

大きな宝石、ロートレック 阿加井秀樹

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

 

南ブランスのアルビで生まれました。


トゥールーズロートレック家は伯爵家であり、
祖先は9世紀のシャルルマーニュ時代までさかのぼることができるほどの名家でした。


そんな家に生まれたロートレックは、幼少期には「小さな宝石」と呼ばれ,家中から可愛がられて育ちました。


しかし、弟が夭折すると両親が不仲となり、8歳のときには母親と共にパリに移住しました。


絵を描き始めたのはその時からです。


すぐに母親は彼の才能を見出し、父親の友人の画家からレッスンを受けるようになりました。


その後、近親婚による遺伝子疾患から病気を患ってしまい、不自由な生活を送りました。

 

自身が身体障害者として差別を受けていたこともあってか、娼婦、踊り子のような夜の世界の女たちに共感するようになりました。


そして、彼女らを愛情のこもった筆致で描き始めたことが「ムーラン・ルージュ」のポスターを生み、


ポスターを芸術の域にまで高めた功績でも美術史上に特筆されるべき画家とされています。

 

ムーラン・ルージュラ・グーリュ」

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鑑賞者の視線をダンサーに集中させるため、それをとりまく群衆は小さなシルエットとして描かれています。


これは当時、流行していた日本の浮世絵を想起させています。


ムーラン・ルージュ」という3回繰り返し描かれたクラブ名は、その下のラ・グーリュへと鑑賞者の視線が向かうよう構成されていて、


いくつかの線が描かれただけの彼女のペチコートの純粋な白は、当時多かった文字だらけのポスターを強烈に打ち破る大胆でシンプルな画家のスタイルを表しています。

 

はっきりと明確なコンセプトや意図があり、それがわかりやすく伝わってきますね。

 

それでは、また。

阿加井秀樹

エコール・ド・パリの中心的人物、シャガール 阿加井秀樹

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

 

今回は、マルク・ザロヴィッチ・シャガールを紹介します。


シャガールはロシア出身のユダヤ系フランス人で、
初期前衛芸術運動の代表的な画家であり、かつエコール・ド・パリの中心的な人物でもあります。

 

キュビスムフォーヴィズム表現主義シュルレアリスム象徴主義など
さまざまな前衛芸術スタイルと土着のユダヤ文化を融合した人物です。

 

シャガールは、一般的に「モダニズムの開拓者」と「主要なユダヤ人画家」の2つの美術評価がなされています。


美術批評家のロバート・ヒューズは、シャガールを「20世紀を代表するユダヤ人画家」と評し、


美術史家のミシェル・J・ルイズは、シャガールを「ヨーロッパ初期モダニストの最後の生存者」と評しています。

 

 

そんなシャガールの作品を紹介しましょう。

「私と村」

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絵の手前には帽子を被り緑色の顔をした男性がいて、
頬に搾乳されている子ヤギが描かれた大きなヤギを見つめています。
そして手前の男の黒い手の上で木らしき物体が動いています。

 

後方には、ロシア正教教会や家々があり、中央には黒服を着た鎌を持っている男の前で
逆さまの女性バイオリニストが描かれています。

 

この絵画の意義は、東ヨーロッパの異なる民話や文化、ロシア語、イディッシュ語
両方の様々な文化の統合にあるといいます。

 

原色でありながら、ソフトな色合いでの表現に、それぞれの文化の協調した統合が伺えます。

孤高の画家ルドン 阿加井秀樹

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

今回はオディロン・ルドンを紹介します。

 

オディロンは、1840年4月20日、南フランスの大都市ボルドーで生まれました。
裕福な過程で生まれましたが、生後2日目にして里子に出されるといった親元を離れて暮らすことを強制された悲しい過去を持っています。

 

病弱で内向的な子供であった彼は子供の頃から絵を描き始めますが、
父親の意向もあって、建築家となるべくエコール・デ・ボザールの試験を受けます。
しかし合格することができず建築の道を諦めた過去を持ちます。

 

オディロンは印象派の世代を生きていますが、作風やテーマが大きく異なっています。
幻想の世界を描き続け、独自の道を歩んだ孤高の画家とされています。

 

オディロンは当時の生理学や科学が投げかけていた、
問題意識である不確かな夢や無意識の世界に踏み込んだ作品を多く発表していました。

 

わたしが魅せられた作品もこの世界のものでした。
モノクロの版画であることもあり、目玉や頭など絶望を感じる反面、言葉にできない何かをくすぐってくるそんな絵が多くあります。

 

「聖アントワーヌの誘惑」

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1888年に出版されたリトグラフ画集で、この絵には、「それから魚の体に人間の頭を持った奇妙なものが現れる」というタイトルがつけられています。

わたしは何かこの絵に魅せられ、ボールペンで毛を一本一本、時間をかけて模写した体験があります。

この版画を見たときに、とても印象的で美しいなと感じました。
それで気づいたら、ペンを走らせてました。

 


今年の2月に世界初の展覧会「ルドン―秘密の花園」が開幕されましたね。
日本で開催されるこういった展覧会が増えていくと嬉しいですね。

 

 

それでは、また。

阿加井秀樹

ありふれた風景の神秘化 阿加井秀樹

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

 

ジャン=バティスト・カミーユ・コローは19世紀の4分の3を生き、次世代の印象派との橋渡しをした画家と言われています。


詩情あふれる風景画で有名ですが、「真珠の女」のような人物画にも傑作があります。

1825年から計3度イタリアを訪れ、イタリア絵画の明るい光と色彩にも影響を受けたといいます。

 


理想化された風景でなく、イタリアやフランス各地のありふれた風景を詩情豊かに描き出す手法を得意としていて、


のちの印象派の画家たちにも大きな影響を与えたとされています。

 

ルーブル美術館に所蔵されている3作品を紹介します。


モルトフォンテーヌの想い出」

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代表作ですね。先に説明した風景を詩情豊かに書き出す手法ではなく空想的風景画の代表作です。

ヤドリギの実や花を摘もうとしている3人の人物を描いていて、1864年のサロンに出品され、ナポレオン3世が購入し、ルーヴルの所蔵となりました。


斜めに傾いた樹木は他の作品でも度々見られていて、樹木が舞台の幕のように使われる構図法にはオペラ座の舞台美術の影響があるとされています。

 

 

「青い服の婦人」

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この絵を書いたときコローは78歳でした。
死ぬ一年前に施策されたこの肖像画はまだ神秘的な力を持っているとされています。

 

 

「真珠の女」

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コローが独自に描いたモナリザです。かつては、女性の額に見える葉が真珠だと考えられていたため、
真珠の女という名前がついています。
モデルの女性が来ている服はコローが海外旅行から持ち帰ったイタリアのドレスを着ています。

モナリザと特徴がかぶることから、コローが何を考えていたのかはわりませんが、
なんかしらの意図があったことは間違いなさそうですね。

 

絵に秘められた作者の意図を考えるのも鑑賞の醍醐味ですね。

 

 

それでは、また。

阿加井秀樹

再発見された夜の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール  阿加井秀樹

阿加井秀樹です。

みなさんこんにちは。

こういった絵を見ていると、自分も絵を描きたくなるときがあります。


どういった気持ちでこの絵に取り組んでいるのかわかるような気がするのですが、
模写したとしても同じようにはいかないですし、気持ちもピンとこないですよね。

 

今回は「大工の聖ヨセフ」を代表作品にもつ

「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」を紹介します。

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、フランスのロレーヌ地方で17世紀前半に活動し、
キアロスクーロを用いた「夜の画家」と呼ばれるています。

ラ・トゥールはその確かな実力でフランス王ルイ13世の「国王付画家」の称号を得たことがあり、著名な画家でしたが、

次第に忘却されていき、20世紀初頭に「再発見」された画家です。

 

そのため、残された作品が少なく、生涯についてもあまり詳しいことがわかっていない謎の多い画家です。

 

絵調は明暗の対比を強調する点に他の画家の影響が伺えますが、
純化・平面化された構図や画面にただよう静寂で神秘的な雰囲気は独自のものであとされています。

 

 

大工の聖ヨセフは画面全体を包み込む蝋燭の光で、

より静謐で神秘的な印象を与えています。

 

聖ヨセフは両手持ちのキリを用い穴を開ける大工作業をおこないながらも、

その視線をイエスに向けていて、
その傍らで幼子イエスが蝋燭を手に、義父聖ヨセフの仕事を晧々と照らしており、
互いの深い精神的な繋がりが表現されている絵です。

 

明暗の対比がはっきりしている分、ぱっと見ではわかりにくい部分がありますが、
目を凝らして見ることで、新しい発見が生まれる作品です。

 

では、また。

阿加井秀樹