「最後の審判」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品は巨匠ルーベンスの「最後の審判」という作品についてご紹介したいと思います。
この作品はルーベンスを代表する宗教画の一つに数えられており、この作品は死から復活して神と同位になったイエスによる人類の救済と断罪の審判をおこなう場面で、キリスト教義上、最も重要な教義のひとつである「最後の審判」を描いたものであるが、父なる神の威光によって輝かしい光を放ちつつ審判をおこなうイエスの在る至福の天上、大天使ミカエルに選定される人類の生死が激しい運動性によって表現された現世、死の底に在ってなお暗い影と苦痛が待ち受ける地獄を画家らしい繊細な筆を以って描いています。
この作品はドナウ河畔のノイブルグに建つイエズス会聖堂の主祭壇画としてえがかれたもので、天上のイエスによってもたらされる至福と救済の場面に重きを置いて描かれているが、この作品を描いた同年又は翌年に、ルーベンスは別の発注により断罪の場面を重要視した同主題を制作しているそうです。
またこの作品のサイズも見るものを圧倒するほどの大きさで幅は6mもの大きさを誇ります。
幾重にも重なった人間たちの欲が見て取れます。
イエスを除くほかの人間たちイエスを引き立てているように配置されているようにも感じます。
神と同位ということもあり、イエスから目が離せなくなりますね。
それではまた。
阿加井秀樹
「エウロパの略奪」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回もレンブラント・ファン・レインの作品についてご紹介していきたいと思います。
彼は17世紀オランダ絵画黄金期に活躍した巨匠といわれており、スポットライトを当てたような強い光による明瞭な明暗対比が特徴的な画家です。
今回は数ある作品の中でも個人的に好きな作品である「エウロパの略奪」という作品をご紹介したいと思います。
この作品はギリシャ神話が題材とされており、明暗対比がどの作品よりもはっきりしていて引き込まれる作品です。
テーマとなっているエウロパの略奪というのは神であるゼウスが人間の美女エウロパに白い牛に化けて近づきエウロパが油断して背中に乗ったところを海に入っていき海原を渡り、クレタ島に連れ去るというシーンをテーマにしています。
その後ゼウスはエウロペに正体を明かすとそのまま関係を持つことになり、三人の子供を身に宿しました。
ほかの画家などもこの題材を使用した絵画を残していますが構図はどれも白い牛とエウロペが画角の半分を占めることが多い構図ですが、レンブラントは全体の半分にもみたない画角で連れ去られるシーンで叙情的に表現しています。
また、この明暗のはっきりとした対比が連れ去られるエウロパの悲劇を描き、一方でゼウスが化けた牛はまるで照明が当たっているかのような明るさがあり、一時的な幸福に浸っているかのような感じになっています。
それではまた。
阿加井秀樹
「眼鏡の行商人」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品はレンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインの「眼鏡の行商人」という作品についてご紹介いたします。
この作品はレンブラントがまだ18歳の時の作品といわれており、ラストマンという画家に師事していたころとも言われています。
8番目の子として生まれたレンブラントは1613年にラテン語学校に入学し、7年後には飛び級でライデン大学へ進学。
翌年に画家を志して大学を退学し、歴史画家ヤーコプ・ファン・スヴァーネンブルフに弟子入りして三年間絵画について学びます。
更に18歳の時にピーテル・ラストマンに弟子入りし様々な技法を学びました。
レンブラントは自宅にアトリエを構え、製作にかかりました。同様にラストマンに師事していたヤン・リーフェンスとも知り合い、切磋琢磨しながら技術を向上させ、1628年には弟子を指導するまでになりました。
技法研究に熱心であった彼は版画も手掛けるようになり、名声が世に広まってきました。
行商人の服がなんとも胡散臭い雰囲気を出しています。
商売の相手は二人の老人で一人はこの商人から購入したのだろうか老婆がなにかを話かける描写になっており、方やもう一人の老人は自分に合う眼鏡が欲しいと言っているかのような印象を持ちますが、行商人の悪代官のような風貌からふっかけられているようにも見て取れます。
それではまた。
阿加井秀樹
「サロメ」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回もフランツ・フォン・シュトゥックの作品についてご紹介していきたいと思います。
今回ご紹介する作品は「サロメ」です。
この作品は1906年に描かれたとされており、この作品のテーマは、黒人の使いにより洗礼者ヨハネの切り首が献上されたことにより、喜びの舞を踊っているサロメとなっています。
この作品はシュトゥックの代表作ともされており、こちらのテーマも神話から来ています。
ほかの画家もこのサロメを題材にした絵画が多く残されていますが、シュトゥックのサロメはほかの作品とは変わった印象を受けます。
このテーマの詳しい背景として、サロメはへロディアの娘で義父の異母兄弟であるアンティバスの宴に招かれました。
屋敷の牢屋には洗礼者ヨハネがおり、へロディアとアンティバスが不倫関係にあったことを糾弾したことにより捕まっていました。
その宴の最中にサロメは喜びの舞を踊りました。
その踊りに大喜びをしたアンティバスは「お前の望むものを褒美にとらせよう」といいます。
サロメは間髪を入れずに「ヨハネの首を」と答えます。不倫を糾弾したヨハネを母へロディアは強く憎んでおり、サロメにそう言うように仕向けたのが原因とされています。
当然「聖人」とされているヨハネの首を報酬として願ったサロメは悪女として中世から近世まで多くの画家のテーマとして扱われました。
このテーマはとても興味深い作品ばかりです。
それではまた。
阿加井秀樹
「ルシファー」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品はフランツ・フォン・シュトゥックの「ルシファー」という作品をご紹介いたします。
フランツ・フォン・シュトゥックはドイツの画家であり、彫刻家で、版画家、建築家でもある多才な人物です。
シュトゥックはスイスの象徴主義の画家であるアルノルト・ベックリンに影響を受け、主に神話なども題材にした絵画を多く残しています。
「ルシファー」はシュトゥックの暗黒期に発表された作品で、人間と悪魔が混在した存在が描かれています。
ブルガリア国王のフェルディナンド1世は、本作をソフィア市にある皇帝コレクションに加えるために、シュトゥックのスタジオから1891年に直接購入しました。
1930年12月25日、息子で次期ブルガリア国王であったボリス3世が国立博物館の所蔵に加え、1948年よりブルガリア国立美術館の所蔵となっています。
1985年に国立外国美術館に移転され、2015年以降はファンド・ギャラリーの「Square 500」で管理されています。
この作品のタイトルでもあるルシファーはもともとは天使でしたが、神からアダムとイブに仕えるように指示され、不満を持ち神と対立した結果、天から追放され神と対立するもの、悪魔と形容されるようになりました。
悩んでいるような姿でなにかを凝視している姿は不気味さえ感じますが、どこか哀愁すら感じさせ、いわゆる人間味すらも感じます。
一度見ると目が離せなくなるのもこの作品がもつ力なのでしょうか。
それではまた。
阿加井秀樹
「聖ゲオルギウスと王女」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介するピサネロの作品は「聖ゲオルギウスと王女」という作品についてご紹介していきたいと思います。
この作品は1436年から1438年にかけて制作されたとされており、現在はヴェローナ・サンタナスタジア聖堂ペッレグリーニ礼拝堂に所蔵されています。
この作品自体フレスコ壁画で長年の間礼拝堂の壁から雨漏りに晒されていたため左側の部分はひどく損傷しています。
損傷を免れた部分は19世紀に壁から取り外されました。
この作品を調べたときに出てくる画像などはひどく損傷している左側部分が除外された画像のみが出てきます。
伝説にある通り、まさに王女を貪らんとする竜の討伐に向かうため、自分の馬に跨がろうとする聖ゲオルギウスの一瞬を現存の部分が表しています。
王女の右後ろには、3頭の馬に乗った騎士達とうずくまる雄牛が描かれており、左に見えるのは猟犬とお供の犬です。
この作品の左側を占めるのは、ゲオギウスの船が出航しようとしている場所の周辺に列をなした野次馬の群衆であり、比較的小さな割合で描写されています。
また、描かれている様々な人物画が精密に観察されたものだということは、ピサネロによる膨大な数の素描やワークショップが物語っています。
それではまた。
阿加井秀樹
「聖エウスタキウスの幻視」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品は前回同様巨匠ピサネロの作品である「聖エウスタキウスの幻視」についてご紹介したいと思います。
この作品はロンドンのナショナルギャラリーが所蔵しています。
ピサネロの経歴においてどの場所で制作されたのかは不明ですが、ナショナルギャラリーのウェブサイト上では1438年から1442年ごろに作成されたと定義されています。
この作品は、黄金伝説で雄鹿の枝角の間に十字架を見た聖エウスタキウスを描いています。
チュニックに青い頭飾りという、当時のハイセンスな宮廷ファッションに身を包んだ聖エウスタキウスが描かれています。
それゆえパトロンにはこの作品を神への賛歌としてだけでなく、貴族的な娯楽の狩りと騎士道的イデオロギーが一体となった作品としも理解されています。
しかし「聖エウスタキウスの幻視」が描かれる理由となったパトロンの正体は不明とされており、描かれている聖エウスタキウスの横顔がパトロンだという可能性は否定できないそうです。
この狩りをする光景が描かれた作品では、鳥や他の動物などを自然主義的かつ装飾的に描くピサネロの卓越した技術も見て取れます。
またこの作品は歴史の流れの中で広範囲にわたる塗りなおしや修正が行われてきてもいるそうです。
この作品で目を引く部分は画面下部にある白い空白ですが多くの学者の中にはこの空白に何かメッセージを残していたのではないかなど様々な憶測が飛び交っていましたが真実はいまだに不明なままで、何か意図があったのかどうかも証拠はないそうです。
それではまた。
阿加井秀樹