美術鑑賞を嗜む生き方 阿加井秀樹

はじめまして、阿加井秀樹と申します。趣味は美術鑑賞です。いただいた美術品が私にとって声も出ないほどの感動を与えました。その感動を皆さんにも伝えたいそんな気持ちでこのブログを書き記してまいります。

ゴーギャン作品『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

今回はゴーギャン『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』という作品についてお話していきたいと思います。

 

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このフレーズだけは、誰もがどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。ポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの代表作の名前です。

 

ゴーギャンの作風最大の特徴は、そのメッセージ性の強さです。構図や配色に宗教画の影響を受けており、風景や静物を描いていても単純にそこにある物を描くのではなく、そこにある物を通して何らかのメッセージを訴える作品を数多く残しています。

 

前出の『我々はー』の作品の中には赤子から老人が時系列を経るように並んで描かれており、ゴーギャンが捉えた生死観を感じさせます。この作品が壁一枚の大作であることもあって、見る者に強く訴えるメッセージを感じます。

 

『収穫』のように純粋に牧歌的な美しい風景を描く技術を持ちながら、『ブドウの収穫、人間の悲惨』のように人間の内面を抉り出すような絵画も手掛ける。この二面性がゴーギャンの最大の魅力と言えるでしょう。

 

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『収穫』

 

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『ブドウの収穫、人間の悲惨』

 

事実を捉えるだけでなく、その裏にある感情や空気感を敏感に感じ取る鋭い感性があっての作風であると言えます。

芸術を志すも、都会の喧騒を離れタヒチに移り住んだゴーギャン自身の心の揺らぎが作品から滲んでいるのかもしれません。

 

そこにある風景のようで、精神世界のようでもある。そんな不思議な世界観が、ゴーギャンの作品には溢れています。芸術作品はある種すべて意図が組み込まれていますので一つずつ紐解くことで作品の真意を知ることができます。

 

ではまた。

阿加井秀樹

 

 

アントワーヌ・ヴァトー「夏の木陰」について

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

アントワーヌ・ヴァトー「夏の木陰」についてお話していきたいと思います。

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この作品はロココ美術の美しさがとてもよく伝わってくるとても素敵な絵画です。

木陰の中央には太陽の光を浴びている男女が描かれ、周りにも木陰で隠れていますが、二人の男性と一人の女性等様々なものが描かれています。

 

木陰になっている部分をじっくり見る事でどういう絵なのかを理解する事ができる、とても奥深い素敵な一枚です。この素晴らしい絵画は、現在愛知県にあるヤマザキマザック美術館に所蔵されています。

 

世界的に有名で偉大な芸術家の美術品が日本にあると知った時、驚きました。まだインターネットの美術館系のサイトでしかこの絵画を見た事がありませんが、せっかく日本にあるのですから、いつか必ず見てみたいと思います。

 

作者であるヴァトーは、生まれながら身体があまり強くなかったそうです。残念ながら結核で37歳の若さで亡くなってしまいますが、病に倒れた後、それでも最後まで絵を描こうとしている様子が手記に残されています。それほどまでに芸術を愛した彼の作品をもっと見てみたかったと思わせる一枚です。

 

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『アントワーヌ・ヴァトーの肖像』

 

 

ではまた。阿加井秀樹

 

 

海景画家と呼ばれたクロード・ロラン

阿加井秀樹です。みなさんこんにちは。

 

クロード・ロランは人物を主体に描き、風景は真剣に取り組むものではないと考えられていた時代に、人物よりも風景を主体的に描いたバロック・フランス古典主義の画家です。

 

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同時代の画家のローマン・カンパーニャとともに風景画家と呼ばれますが、カンパーニャがあくまでも人物を主体にしたのと対照的に、ロランの場合は人物を片隅に配置し、風景を主体にしたところが当時の風景画家といわれた画家との一線を画したところで、ロランの作品では、あくまでも大地や海、空といった風景が主題となっています。

 

代表作のひとつである「海港 シバの女王の上陸」は、旧約聖書の一説を描いたもので、エルサレムのソロモン王が優れた知恵を持つ王だと聞いたシバの女王が悩みを聞いてもらうためにエルサレムを訪れたシーンが描かれています。

 

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ソロモン王への献上品を船から降ろすシーンは、穏やかな海の様子、柔らかい日の光の朝の中のシーンとなっており、透明感のある絵です。

 

ロランは生前、ロランのことを記録する人がいなかったことから、人物像がよくわかっておらず、弟子に対して親切であったなど僅かなことが伝えられている限りです。


なお、ロランはあくまでも風景に拘り、人物をおまけと考えて、人物を他の画家に依頼することがあったそうです。

 

では、また。 
阿加井秀樹

 

「アダムとイヴ」を10点以上残したルーカス・クラナッハ

 

阿加井秀樹です。みなさんこんにちは。

 

画家の中には同じテーマで何枚も絵を描く画家が多くいますが、「アダムとイヴ」の絵画を10点以上も残したのが、ルネサンス時代のドイツの画家であるルーカス・クラナッハです。

 

息子が同名の上にやはり画家であることから区別するために「ルーカス・クラナハ」、または「ルーカス・クラーナハ」とも表記されることがあります。

 

ルーカス・クラナッハはフリードリヒ3世に御用絵師として活躍したことから、多数の宗教絵を残していますが、中でも「アダムとイブ」を描いた作品は10点以上残されています。

 

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「アダムとイブ」の描き方も様々で、イブがアダムに知恵の実であるリンゴを渡しているシーンのものもあれば、「エデンの園」のようにアダムとイブの誕生から、楽園を追放になるまでを一枚の絵の中で描いたものもあり、イブがアダムに知恵の実を手渡ししている瞬間のものをあれば、渡す前のものもあります。

 

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クラナッハの描く女性は当時としては珍しく、腰が括れていて細身のところが特徴です。それがほかの画家の「アダムとイブ」と一線を画するところといえます。

 

宗教改革マルティン・ルターとは同年代であり、さらに友人であったため、ルターとその家族の肖像画を多く残しています。

 

では、また。 
阿加井秀樹

 

 

点描の画家ジョルジュ・スーラ

 

阿加井秀樹です。みなさんこんにちは。

 

点描という小さな点によって表現された絵を見たことがあるでしょう。19世紀のフランスで点描という技法を活用して大作を残した画家がジョルジュ・スーラです。

 

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スーラは裕福な家に生まれ、国立美術学校のエコール・デ・ボザールに入学するも、兵役のために退学したという経歴を持つ画家です。

 

絵画は兵役によって中断するも、素描がサロンで入選したり、大作の制作に取りかかったりと制作活動は続け、全体の構図はもちろんのこと、モチーフの選択やその配置、そしてポーズなどを研究した下絵が残されています。

 

スーラは比較的大作を残した画家で、スーラの画家としてのキャリアの中で一番の大作と呼ばれるグランド・ジャット島の日曜日の午後1884年に着手しています。

 

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グランド・ジャット島の日曜日の午後」は50人の人物たちを点描という手法によって描き出した絵画で、パリ北郊のクールブヴォア付近のセーヌ川の中洲であるグランド・ジャット島を舞台にして、川辺でくつろぐ人々の姿が描かれています。

 

グランド・ジャット島の日曜日の午後」は1886年の第8回印象派展に出展され、「新印象派」という分類は、この絵を見た批評家が雑誌記事の中で使ったのが最初といわれています。

 

では、また。
阿加井秀樹

 

 

「ロシアのモナリザ」を描いた画家クラムスコイ

 

阿加井秀樹です。みなさんこんにちは。

 

ロシアの絵画というと、あまりなじみがないという人も多いでしょう。
しかし、ロシアで最も知られている画家のひとりで、「ロシアのモナリザ」と呼ばれる「忘れえぬ人(見知らぬ女)」で魅力的な貴婦人を描いたのがイワン・ニコラーイェヴィチ・クラムスコイです。

 

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クラムスコイは貧しい家に生まれましたが、サンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーで学びました。しかしながら当時イタリア美術を至高とする学校に反発して放校処分となって、美術家組合を組織といった美術上の路線対決の上に作品制作をした画家で、「移動派」と分類されています。


クラムスコイは1863年~1868年の間は実用芸術奨励協会、絵画教室の教員となっており、その後「レフ・トルストイ」、「イワン・シーシキン」、「パーヴェル・トレチャコフ」「ミハイル・サルトゥイコフシチェドリン」「セルゲイ・ボトキン」といった人物像を制作し、肖像画家として名前が知られていきます。

 

その後制作された「曠野のイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)」はクラムスコイの代表作のひとつであり、イエス・キリストを英雄的に扱っているのが特徴です。

 

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「ロシアのモナリザ」と称される「忘れえぬ人(見知らぬ女)」が制作されたのは1883年です。モナリザと同じく、モデルがはっきりしておらず、当時は、娼婦を描いたものとして批判されていたといいます。しかし人気は高く、美しさは罪といったテーマを一般に唱えさせた作品でもあります。

 

では、また。
阿加井秀樹

 

 

 

「ロココの帝王」フランソワ・ブーシェ

阿加井秀樹です。みなさんこんにちは。

 

以前にも少し触れたフランソワ・ブーシェについて、改めてお話したいと思います。

 

ロココの代表的な画家で、「ロココの帝王」と呼ばれたのがフランソワ・ブーシェです。貴族の肖像画や神話画を生涯に1000点以上、版画200点に素描10000点を描いただけでなく、舞台デザインや磁器の下絵なども行った多作の画家です。

 

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装飾家の父のサポートによって画家に弟子入りするも長く留まることはなく、ブーシェの名前が世に出たのは1723年、イタリア滞在時代にローマ賞を受賞したことがきっかけです。それ以後、王立絵画彫刻アカデミーの準会員から正会員となり、やがて国王の筆頭画家となって王立絵画彫刻アカデミー院長にまで上り詰めています。

 

貴族の肖像画が多いのもそのような理由で、晩年は人格が否定されたり、死後30年は作品が評価されないこともありましたが、19世紀後半になると再評価されており、ルノワールブーシェに影響を受けたといわれています。


そんな数あるブーシェ肖像画の中で最もよく知られているのが「ポンパドゥール侯爵夫人の肖像」でしょう。ポンパドゥール夫人は、平民の出でありながら、その美貌と高い教養ゆえに時の国王ルイ15世の愛妾となり、やがて公妾となって侯爵夫人の爵位が与えられた女性です。

 

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「ポンパドゥール侯爵夫人の肖像」の夫人は知性的な美貌はもちろんのこと、軽やかかつ華やかなドレスを纏い、緻密に描かれたドレスのエレガントさは洗練されたロココ文化を表しており、フランソワ・ブーシェの描いた数ある肖像画の中でも最高の作品として評価されています。

 

では、また。
阿加井秀樹