「聖エウスタキウスの幻視」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品は前回同様巨匠ピサネロの作品である「聖エウスタキウスの幻視」についてご紹介したいと思います。
この作品はロンドンのナショナルギャラリーが所蔵しています。
ピサネロの経歴においてどの場所で制作されたのかは不明ですが、ナショナルギャラリーのウェブサイト上では1438年から1442年ごろに作成されたと定義されています。
この作品は、黄金伝説で雄鹿の枝角の間に十字架を見た聖エウスタキウスを描いています。
チュニックに青い頭飾りという、当時のハイセンスな宮廷ファッションに身を包んだ聖エウスタキウスが描かれています。
それゆえパトロンにはこの作品を神への賛歌としてだけでなく、貴族的な娯楽の狩りと騎士道的イデオロギーが一体となった作品としも理解されています。
しかし「聖エウスタキウスの幻視」が描かれる理由となったパトロンの正体は不明とされており、描かれている聖エウスタキウスの横顔がパトロンだという可能性は否定できないそうです。
この狩りをする光景が描かれた作品では、鳥や他の動物などを自然主義的かつ装飾的に描くピサネロの卓越した技術も見て取れます。
またこの作品は歴史の流れの中で広範囲にわたる塗りなおしや修正が行われてきてもいるそうです。
この作品で目を引く部分は画面下部にある白い空白ですが多くの学者の中にはこの空白に何かメッセージを残していたのではないかなど様々な憶測が飛び交っていましたが真実はいまだに不明なままで、何か意図があったのかどうかも証拠はないそうです。
それではまた。
阿加井秀樹
「エステ家の公女」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品はピサネロのエステ家の公女という作品です。
まずピサネロについて簡単にご紹介したいと思います。
ピサネロは15世紀に活動したイタリアの画家です。
国際ゴシック様式を代表する画家の一人であり、記念メダルの作家としても知られています。
また、ピサネロは大規模な壁画フレスコ画、優雅な肖像画、小型の板絵などさまざまな作品を手掛け、多くの優れた素描も残してもいます。
宮廷画家としても活躍した人物です。さて、エステ家の公女という作品はピサネロの代表作でもあり、この肖像画には、数多くの蝶とコロンバイン(オダマキ属の多年草)の花を背景にした王妃の横顔が描かれています。
王妃の額周辺を舞う蝶は魂の象徴とされています。
この作品が描かれた過程には当時の若い女性の生き方が垣間見られます。
またピサネロは、王妃の周りに自然の要素を融和させることでルネサンス運動の精神を捉えてもいます。
現在『エステ家の公女』はルーブル美術館に収蔵、展示されており、長年間この絵画の作者がピサネロであることは疑いの余地なしとされてきたが、そのモデルについては今なお謎に包まれているといいます。
それではまた。
阿加井秀樹
人物画麗子肖像(麗子五歳之像)
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品は人物画麗子肖像(麗子五歳之像)についてです。
1913年、「ゴッホの手法の感化」や「マチスの絵と理論」ではなく、自分の眼と頭で捉えた表現を模索していた岸田は、妻となる蓁との恋愛もあり人間への関心が特に高まったことも重なって、立て続けに肖像画を制作しています。
例えば11月5日に自画像を描き、その翌日の11月6日には《清宮氏肖像》を描くなど、一日に一点油彩の肖像画を描いているような場合もあり、「首狩り劉生」と呼ばれたのも頷ける驚異的なスピードと集中力だと思いました。
黒き土の上に立てる女は、「大地とともに生きる女性」を描いた作品で、豊かな胸を開けて右腕に竹籠を携え、画面中央に堂々と立っている女性は妻の蓁がモデルだそうです。
この作品が描かれた1914年の4月には娘の麗子が生まれているのですが、妻の姿は出産前のものなのか腹部に膨らみが見て取れます。
竹籠は種が入っているのか、収穫物を入れるためなのかはっきりしませんが、出産=実りを暗示させる姿ですからあるいは収穫物を入れるためのものかもしれません。
身重の妻の姿に裸足で大地を踏みしめる収穫と多産の象徴としての地母神を重ね合わせ、生命の豊かさ、力強さを表現した作品だと思います。
岸田は愛娘・麗子の肖像画を数多く制作していますが、麗子肖像(麗子五歳之像)はそのうちでも最初の作品です。ふっくらと丸みを帯びた赤みの差す頬や小さな手が子供らしく、櫛を通していない無造作な癖毛や右手に握られた犬蓼は麗子が手つかずの自然のように無垢な存在であることを感じさせます。
一方で、つぶらな瞳は全てを見通しているかのように聡明な印象を与え、デューラーの肖像のように麗子をほぼ正面から捉えていることと合わせて、幼いキリストにも通じる気高さが感じられます。
それではまた。
阿加井秀樹
没後90年記念 岸田劉生展
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品は没後90年記念 岸田劉生展です。
この展覧会は日本の近代美術の歴史の中でもとりわけ独創的な絵画の道を歩んだ岸田劉生の没後90年を記念する回顧展です。
出品作は初期の水彩画、代表作道路と土手と塀(切通之写生)や愛娘麗子を描いた肖像画、「東洋の美」に目覚めて独学で取り組んだ日本画など、東京国立近代美術館をはじめ日本各地の美術館が所蔵する作品約150点で構成されています。
岸田は二十年余りの画業の中で何度も画風を大きく変化させているのですが、変化のきっかけには幾つもの出会いがあるように思います。
若干十四歳にして両親を失った岸田ですが、キリスト教の洗礼を受けたことで牧師の田村直臣と出会って画家になることを奨められ、さらに雑誌『白樺』を通じてゴッホ、ゴーギャン、マチスの芸術に衝撃を受けるとともに、親友となる武者小路実篤とも出会います。
肺病と診断されたために戸外での写生ができなくなったことはマイナスの出会いなのですが、室内で制作できる静物画に取り組んで新たな境地を切り拓く強靱さもあります。
最愛の娘・麗子の誕生は数々の麗子像として結実しました。
今回の展覧会を通して、岸田の人生と作品は根底において相互に不可分に結びついているように感じました。
それではまた。
阿加井秀樹
「道路と土手と塀」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品は風景画道路と土手と塀(切通之写生)(1915年11月5日)風景画は岸田の画家としての始まりであり、終生描き続けたテーマです。
最初期の作品である(1907年8月6日)は水彩による透明感と瑞々しさが爽やかな風景ですが、岸田は雑誌「白樺」を通じてゴッホやマチスらの影響を受け、鮮やかで大胆な色遣いが印象的な築地居留地風景(1912年12月23日)などを描くようになります。
出会いを契機に画風が大きく変化するのは、感性の鋭さや良いものを積極的に取り入れようとする柔軟さの証でもあると思うのですが、他の画家たちが築いた表現に飽き足らず、自身の目で見た表現を模索した岸田は、やがて結婚して居を構えた代々木近辺の風景を描くようになります。
現在の代々木はビルのただ中にある街ですが、百年前の岸田の作品ではまだ建物がほとんどなく、道端には草が生い茂っていて、その変貌ぶりに驚きます。
道路と土手と塀(切通之写生)は開発が進む代々木の風景を克明に描いた写実的な作品ですが、坂道が坂道以上の意味を持って迫ってくる印象を受けました。
真っ青に晴れた空に向かって赤茶けた険しい坂道が盛り上がり、明るい日差しを浴びる左手の石塀は奥行きが圧縮されて遠近感が強調されています。
石塀は築かれて日が浅いのか白さが際立ち、逆光で影になっている向かいの暗い崖と対になっています。道を挟んで左側は人間の手による人工物、右側は切り拓かれる以前からの自然の山であり対峙する両者の静かな緊張感が感じられます。
乾いた地面には雑草が生え始めている一方で、道端に立つ電柱の影も差していて、道の上で人と自然とが交錯していますが、せめぎ合う自然の生命力と人間の文明との対立とも共存とも受け取ることができそうです。
世界の縮図のような一本の道は力強く上昇していて、未来に続いていることを予感させる作品だと思います。
それではまた。
阿加井秀樹
「グレヴィルの断崖」
みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品は先日同様ミレーの作品を取り上げていきたいと思います。
ご紹介する作品は「グレヴィルの断崖」という作品です。
この作品は、フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーにより1871年から1872年にかけて描かれた絵画です。
現在はアメリカ・ニューヨーク州バッファローにあるオルブライト=ノックス美術館に所蔵されています。
この作品は、緑色を帯びた茶色い斜面と、曇り空の日光に照らされた岩場沿いに波が砕け散る、グレヴィルの崖から見た海の様子を描いています。
1870年のフランコ・プルシアン戦争の間、ミレーはフランス北部のシェルブールにある家族の農場へと帰ります。
彼の家族は、イギリス海峡の灰色の海を見下ろす小さな農場を所有していました。
この間、ミレーはノルマンディー海岸の険しい美しさを描いた本作《グレヴィルの断崖》を含むいくつかの海景を描きました。
田園の労働者に焦点を当てた他の多くの作品とは異なり、この作品は原風景を特徴としています。
全体の描写は、横たわる緊張感があり波の絶え間ない前後の動きは、右下の前景から始まり、キャンバスの中央部の大部分にわたってうねる岩場の海岸線に激しく当たり、最終的には遠い地平線まで続いています。
非対称の部分は完全にバランスが取れているので、無秩序には見えません。
この時点でのミレーの絵画的技法は、モネなどの印象派やゴッホの作品に見られるような、ゆったりとした動きの筆運びを特徴としています。
画家は黒鉛とインクを使い、岩場の海岸線、岩石や崖の多様な影、水平線上の高所など、風景のさまざまな側面を引き立たせているのも特徴のひとつです。
それではまた。
阿加井秀樹
『パンを焼く女』
みなさんこんにちは阿加井秀樹です。
今回ご紹介する作品は個人的に好きな画家でもあるミレーについての作品で「パンを焼く女」という作品についてご紹介致します。
パンを焼く女は、フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーによって1854年に制作された油彩画であり現在は、オランダ、ヘルダーラント州オッテルロー村にあるクレラー・ミュラー美術館に所蔵されています。
ミレーの作品の多くは田園風景の中に、そこで住み働く人々を主に描いていました。それまでは、芸術における農民たちの描写は、絵画の装飾的要素に過ぎなかったですが、ミレーはその伝統を破り、彼らを主題にして作品を描くようになりました。
この作品のパンを焼く堂々とした女性のように、土地に深く結びついた人物たちとして、現実的であると同時に英雄的な方法で農民たちを描いているのが特徴的でどこか哀愁すら感じる作品でもあります。
ミレーは、農民生活の正直さとシンプルさを描写することを目指したそうです。
ミレーの描く作品はどれもディティールまでこだわって書き込んでいるように見えます。
そして哀愁を感じる理由の一つとして全体のトーンが暗く夕陽を連想させる色をベースに用いているからであることも挙げられます。
どこかノスタルジックな感情も湧き出る作品ですね。
それではまた。
阿加井秀樹