美術鑑賞を嗜む生き方 阿加井秀樹

はじめまして、阿加井秀樹と申します。趣味は美術鑑賞です。いただいた美術品が私にとって声も出ないほどの感動を与えました。その感動を皆さんにも伝えたいそんな気持ちでこのブログを書き記してまいります。

「世界中の子と友達になれる」

「松井冬子 世界中の子と友達になれる」の画像検索結果

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

今回ご紹介する作品は松井冬子の世界中の子と友達になれるです。

 

松井冬子の名を世に知らしめる第一歩となったのが、世界中の子と友達になれるです。

 

よく目を凝らさないとわからないのですが、藤棚の枝に垂れ下がるおびただしい数のスズメバチが描かれていたり、打ち捨てられたような空のゆりかごがあったり、スズメバチの間を縫うように中腰で歩みを進める少女の手足は血まみれなどなど、不穏な予感に満ちたモチーフの連続で、奇妙な明るさのある画面からは調和の取れた狂気が感じられます。

 

松井冬子は古典的な絹本着色という、絹地に岩絵具で細密な線を描いていく画法で、耽美的かつ狂気を感じさせる幻想の世界を描いています。どこか禍々しく、おどろおどろしくさえある松井冬子の世界観は、妖しさのただよう女性などのモチーフと、現実と幻想の世界をあいまいにする朧げな色使いに象徴されます。

 

完成後1年間は、なかなか次作に取り掛かることができなかったと作者本人が語る残るほど、熱のこもった力作ですので、是非一度ご覧ください。

 

それではまた。

阿加井秀樹

「生々流転」

「横山大観の生々流転」の画像検索結果

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

本日ご紹介する作品は横山大観の生々流転という作品です。

 

明治から昭和にかけての日本画家で、水戸藩士酒井捨彦の長男として水戸生まれました。

 

明治21年横山家の養子となり、26年東京美術学校の第1期生として卒業をし、29年に東京美術学校助教授となりました。

 

30年代に試みた没線描法をはじめ日本画の近代化を積極的に実践し、五浦の苦難時代を経て、大正3年下村観山らと日本美術院を再興したのです。

 

特に没線描法である朦朧体を確立させたのは大観の一番大きい功績の一つと言えます。

 

特に本作品は大観の代表作でもあり全長約40メートル、日本一長い画巻にして重要文化財という、注目すべき作品です。

 

万物は絶えず生まれ、変化し、移り変わっていくことを意味する生々流転というタイトルを冠した本作は、水の一生を高度な水墨画技法で描いています。

 

山あいに浮かぶ雲からひと雫の雨が生まれ、地面に落ちて流れ、川になり、人間やあらゆる生物の生活を潤し、やがて大河になり、海に合流し、龍が舞う荒れた海から再び雲になる、というものです。

 

豊かな水とともに生きてきた日本人にとって、水の一生は人の一生とともにあるものでもあります。

 

全長40メートルの中に大観のメッセージが詰まっています。

 

同じ自然の一部として、人の在り方にも問いを投げかける作品かもしれません。

 

それではまた。

阿加井秀樹

「墨田河舟遊」

「鏑木清方の墨田河舟遊」の画像検索結果

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

本日ご紹介する作品は鏑木清方の墨田河舟遊という作品です。

 

清方は1878年、東京神田佐久間町に生まれ、父は条野採菊といい、ジャーナリストでありながら山々亭有人と号した幕末の人情本作家です。

 

13歳となる1891年7月に、浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門し、翌年には家庭の事情により神田の東京英語学校をやめ、画業に専心しています。

 

また近代日本の美人画家として上村松園、彼の門下より出た伊東深水と並び称せられています。

 

本作品は6曲1双の大画面の中に、舟遊びを楽しむ人々を描いた大作です。

 

江戸時代、大名一行はたくさんの華やかな女性たちを舟に乗せ、人形の舞に興じて宴会を開いています。

 

一方、舟の屋上では船頭たちが一所懸命に舟を操る仕事姿や別の舟には火遊びに興じる若侍、また別の舟には漁をする人たちなど、奥行きのある絵画の中に江戸のさまざまな風俗を詰め込んでいます。

 

特に鏑木清方の作品は、ただの美人画や人物画ではなく、人の姿を通して社会や街、時代を映し出しています。

 

その時代背景や、その瞬間の各人物の物語が墨田河舟遊という絵を見ることで読み取ることが出来るのは鏑木清方美人画を描く作家としての人物の特徴をくみ取る能力と人物画と描く作家としての動きや気持ちを表す能力に長けているからこそ描ける画風と言えます。

 

現在は東京国立近代美術館に貯蔵されておりますので是非一度足を運んで頂きたいです。

 

それではまた。

阿加井秀樹

「行く春」

「川合玉堂の行く春」の画像検索結果

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

本日ご紹介する作品は川合玉堂の行く春という作品です。

 

川合玉堂1873年、筆墨紙商の長男として生まれ、12歳頃から親しむようになったといわれています。

 

1886年京都の画家青木泉橋が岐阜に来住すると、夫人も翠蘋と号する美人画家で、芳三郎少年は青木夫妻の知遇を得て大いに刺激を受けたといわれています。

 

本作品は1916年に描かれた作品で、6曲1双の屏風が対になった大型作品で、国の重要文化財に指定されています。

 

埼玉県の秩父長瀞を訪れた際の川下りの経験から着想した作品といわれ、作品の画面を横切るように雄大な川の流れが描かれています合玉堂の日本画としてはとりわけ絢爛豪華な作品で、舞い散る満開の桜、岸辺の岩に映える春の光、ゆったりと流れる川の水面など、美しい春の眺めを生き生きと表現しています。

 

季節や時の移ろいを感じさせるような、風流でありながら郷愁をも呼び起こす圧倒的な画力を持ち合わせ、日本人の原風景ともいうべき豊かな自然の美しさを、日本画にギュッと閉じ込めた作品です。

 

また、官展の中心作家として、またこの前年に東京美術学校教授に就任した玉堂は、画家として充実したその時期のみなぎる制作意欲に駆られて、自然の造化の力と季節のうつろいを統含した自然の大テーマの実現に向かったのです。

 

花鳥画の四条派と骨法の狩野派をあわせて学んだ玉堂は、それぞれから学んだものを駆使して、うつろいのうちに観照されるやさしい自然と造化の力を示す雄渾な自然の景観とを、ここで一つの画面にまとめあげています。

 

それではまた。

阿加井秀樹

「班猫」

「竹内栖鳳の班猫」の画像検索結果

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

本日ご紹介する作品は竹内栖鳳の班猫という作品です。

 

竹内栖鳳は戦前京都に生まれ幼少期の頃から絵を学び、彼の画風はそれまでにはあまりなかった西洋の画風を日本の絵画に取り入れることをし、日本の絵画史の片鱗を担った人物です。

 

また、日本で初めて文化勲章を受章された人物としても有名です。

 

その中でも班猫は見ているだけで動きそうと言われるほどの躍動感、繊細さがあります。

 

旅先の沼津で見かけた猫に栖鳳が一目ぼれし、飼い主の八百屋のおかみさんと交渉の末、譲り受けて京都まで連れ帰って描いたというエピソードが残されています。

 

栖鳳によれば、猫を見た瞬間に中国宋代の皇帝徽宗が猫いた猫図を想起し、表現欲が湧いてきたということです。

 

無背景の画面に猫のみを配し、余白を効果的に活かした構図や、見る者に視線を向ける印象深い瞳に金泥を用いている点に、栖鳳の日本と中国の古画研究の成果が発揮されています。

 

京都画壇の伝統に学びながら、対象の実物観察と徹底した写生に重点を置き、猫が身体を舐める仕草や一瞬見せた表情を的確に切り取って絵にしたところに栖鳳の近代性を見て取ることができるといえます。

 

またこの作品はその魅力から現在では国の重要文化財に指定されており山種美術館に貯蔵されています。

 

一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

それではまた。

阿加井秀樹

「聖マタイの召命」

「聖マタイの召命 カラヴァッジョ」の画像検索結果

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

今回ご紹介する作品はカラヴァッジオの聖マタイの召命です。

 

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョは、バロックを代表するイタリアの画家です。

 

映像的な写実性と、光と陰の明暗を明確に分ける表現は、バロック絵画の形成に大きな影響を与えました。

 

卓越した表現力とは裏腹に、気が荒く乱暴な性格だったようで、当時のローマ教皇から死刑宣告を受けるほどの人物でした。

 

一時はローマで最高の画家と謳われたカラヴァッジオですが、殺人を犯したためローマから追放。

 

しかしそれ以後も彼への絵の依頼は絶えませんでした。

 

初めて殺人を犯した画家としても知られています。

 

聖マタイの召命はカラヴァッジオ出世作であり、美術史上ではバロック美術への扉を開いた作品です。

 

聖マタイの殉教、聖マタイの霊感と並ぶ三連作で、ローマのフランス人管轄教会サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会内のコントレー聖堂に掲げられました。

 

マタイによる福音書9章9節にある、イエスが収税所で働いていたマタイに声をかけ、マタイがイエスの呼びかけにこたえてついていったというシーンが描かれています。

 

それではまた。

阿加井秀樹

「受胎告知」

「受胎告知 レオナルドダヴィンチ」の画像検索結果

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

 

今回ご紹介する作品はダ・ヴィンチの受胎告知です。

 

受胎告知は1472年から1475年ころにレオナルド・ダ・ヴィンチが制作した油彩作品です。レオナルド・ダ・ヴィンチの実質的なデビュー作品として知られていますね。

 

また、彼の油彩作品の中では最大のサイズのひとつでもあります。

 

受胎告知はルカによる福音書1章26~38節の部分で、神から遣わされた大天使ガブリエルが処女マリアのもとを訪れ、果てしない統治を行い神の子と呼ばれイエスと名付けられた子どもを授かった受胎告知の場面を描いたものです。

 

この作品は西洋芸術史において非常に人気があり、初期ルネサンスの画家フラ・アンジェリコよる作品をはじめ、フィレンツェの芸術世界で何度も描かれてきたものです。

 

その後、美術史における確立されていく写実絵画に比べると稚拙はあるもののレオナルドの絵画の特徴や指向性、特に遠近法を用いて写実的な正確さを追求したレオナルドの制作姿勢がよくあらわれた作品でもあります。

 

大天使ガブリエルの背中に生えている翼は現実的な鳥の翼を描いている点が珍しいですし、当時、天使の翼は非現実的な金色で描かれるのが一般的だったが、レオナルドは現実の鳥の翼を描いたことでも知られています。

 

それではまた。

阿加井秀樹